kenmeinakurashiのブログ

介護、老後を賢明に生きる公共、企業の制度利用法。

面会できなくなって初めての週末を迎えて。

緊急事態宣言が発出されて初めての週末を迎えた。これまでなら家族が我が家だけでなく、兄たち家族も母に面会に行っていたが、誰も面会に行けない週末になった。

それを意識して、妻は電話を1日1回だけでなく、2回でも3回でもかけるとして、昼からは電話をかけるのだが、いっこうに受信されず、夕方まで交信できないままだった。夕方、妻は母の好物の鯛めしを持って差入に行ったときに、母が電話に出ないので、出るように言ってもらいたいと伝言して帰った。ようやく帰宅してから電話すると母とつながり、持ち歩く手提げの一番下に携帯が入っていて、電話に気づかなかったということだった。

これまでも、20鈴くらいならしてようやく受信する状態が続いていたが、面会ができなくなった分、電話をできるだけかるから、いつも枕元や身近なところに置いておくようにと伝えた。

薬を減らしたことが奏功しているようで、今日も電話での会話はしっかりとしたやりとりだったと妻は言った。いつまで面会禁止が続くかは分からないが、連絡を細かくとって、母の意識を刺激してあげたいと、我が家では思っている。

孫娘と面会して。

昨日、孫娘が母に夕方に会った際、「おばあちゃん、今日は今まで何してたの?」「寝てた」。

「じゃあ、この面会が終わったら何するの?」「また、寝るの。寝るのが嬉しいの」という会話があったそうだ。

孫娘は、一度就職したものの、もっと英語を勉強したくなって、会社を辞めて、英語圏に語学留学して、今年の春先に帰国していた。それからしばらく、自宅にいて、ゆっくり就職活動を始め、2カ月前に新しい就職先が決まって働き始めたところだった。当然、新しい職場にはまだ慣れるレベルにはなくて、日々疲れ果てて帰宅し、時間があればそれこそ、寝ていたい今であった。それだけに、目の前の祖母が、毎日のように、寝ることを主な活動にしていて、それを嬉しいと言われては、羨ましいというほかなかった。

そんな少し、ほっこりするような会話があった面会が、非常事態宣言発出前の母の最終の面会になった。今度の面会は、どんな面会から始まるのであろうか。コロナウィルス感染の1日も早い終息と、面会、外出ができる日々の再スタートを願うばかりだ。

緊急事態宣言の発出で面会が禁止になる前に。

明日からの緊急事態宣言で面会が禁止になる最後の日に、妻は母の大好物の手作りのカスタードプリンを届けた。そして長男のお嫁さんと、その末娘が面会に行ってくれた。事前に妻は母に電話をして、今日は義姉と姪が行くので、用意しておいたお年玉やお土産のお菓子を渡すように指示をした。母は、ひとつのことしか覚えていられないから、あとのことは事務所の相談員さんに伝えておいて頂戴と言ったそうだ。

よく自分の今の状況が分かっていると妻は感心していた。先日、看護師、精神科医との面談を経て、薬の量を減らすことを試したことが、昼間にぼんやりしていると言われた母の意識を明快にしているように思われた。

もしかすると、投薬の量が多すぎて、それがもとで、日中でも眠気に襲われて、それでぼんやりとしていたのではないかと思う。電話を通してでも、これだけ意識が明確であることは、とても喜ばしいことで、活性化しているように思われた。

これまで、母と接触することで、刺激を増やして機能の活性化を図ろうと考えてきたが、飲んでいる薬の種類や量も、家族としてうのみにせず、母の様子を見て、話を聞きながら考えていくべきだと思った。

緊急事態宣言発出で面会禁止が通達された。

緊急事態宣言の発出が内定したことに伴い、ホームから昨晩連絡があった。発出されると同時に母との面会を全面的に禁止するというのである。もちろん、ホーム全体の取組で我が家だけというわけではない。

これだけコロナウィルスの感染が拡大の一途をたどっている中、万が一にもホーム内にそのウィルスが紛れ込まないようにするための策だという。

仕方のないことで、もっともなことだとも思う。妻は昨晩のうちに、その情報を3人の兄家族に発信し、会っておくなら、7日までともしらせを送った。

年末年始の中で、母と面会していなかった長男家族は、急ぎ面会の予約を入れ、母に面会するアポイントを取り付けていた。この状況がいつまで続くのか皆目見当もつかず、この期間に母の脳と体の機能がさらに落ちはしないかと心配をする。

母の無事を祈りながら、自分たちが感染しないように、注意深く日々の暮らしを送りながら、母との再会の日を待ちたい。

母が自分で携帯電話を掛ける難しさ。

妻と二人で母をホームに訪ねた。昨日、カレンダーを送ってきてくれた孫に電話が出来ずもどかしいと言っていたので、妻はガラケーの掛け方を母に手を取って教えた。もちろん、脳内出血に倒れるまでは自分で使っていたもので、脳に障害が出てから、小さいボタンを押し続ける集中力がなくなっていた。また、一度覚えた手順をすぐ忘れるようになっていて、電話帳から掛けたい人の番号にたどりついて、電話をかけることが出来なくなっていた。現在は辛うじて、自分の4人の子供たちの短縮ダイヤルのみ、何とか掛けることはできるが、それさえも覚束なくなってきた。

しかし、電話で話す母は、いきいきとしているように見え、人と話すことが大好きでそれは続けさせてあげたいと思うのである。そのためには、自分で電話を掛けられるといいのだが、その壁を超えることはなかなか容易ではないようだ。

孫からカレンダーが届いて、母は。

妻が連絡を取ると、普段は10鈴近く鳴らしてようやく出る母が、すぐに受信をしたのだという。理由を聞くと、長男の子供で一番上の孫が、仕事先のカレンダーを自分あてに送ってきてくれて、それがとても嬉しくて、何とか自分からお礼の電話をしようと試みてきたのだけれど、どうしても、その電話番号を携帯の中で見つけられず、もどかしい思いをいだきながらも何とかしようとしているところに、電話が鳴ったので、もしやその子から電話がかかってきたのかと思い、すぐに出たというのである。

どうりで、電話の声も弾んでいたと妻は言った。

母に対して、私は毎日のように、やれ母が好きな総菜だ、デザートだといっては、届けているのに、それにはお礼の電話をしようとせずに、1年に1度だけのカレンダーを送ってきた孫にはいそいそとお礼の電話をしようとしているのか、不公平ではないか?

恩を売るわけではないけど、娘だから当たり前ではなくて、人がしてくれることには、それぞれに感謝するものよ、と電話口で母をたしなめていた。確かに母をはじめ、妻の兄弟にもその傾向があり、娘であり、妹である妻に、ありがとうを言わない。そうした家の形できてしまったのかもしれないが、母が苦境に直面した今だからこそ、人として

人のしてくれたことに感謝し合える関係でありたいと思う。

母の薬の飲む回数を減らしてもらって。

今日の母は、意識がはっきりしていたと妻が言う。夜に電話をして、昨日とは違う兄家族がきたことを聞くと、その内容について詳しく話してくれたという。

先日の看護師、精神科医との面談を経て、かゆみ止めのために使っていたアレグラを減らそうということになり、それをすぐに実行してくれたことが奏功しているのではないかと妻は言う。確かに、自分も蕁麻疹でアレグラを使うとき、眠気を誘うから、寝る前に1錠飲んでくださいと注意を受ける、それを考えれば、日中からアレグラを飲んでいれば日中に眠気が襲ってくることも必然に思われる。なにはともあれ、意識がはっきりしていて、はっきりした会話のやりとりができたことは大きいポイントだ。