kenmeinakurashiのブログ

介護、老後を賢明に生きる公共、企業の制度利用法。

同居する義母が脳内出血で倒れた。・・・ あれから1年。今にして思うこと。1

昨年8月の夜に、外出先で母が倒れたので、すぐに救急病院に向かって欲しい。と、自宅から電話があった。勤務時間は過ぎていたので、取るものもとりあえず、その病院に向かった。1時間くらいで病院に着くと、義兄がいて、一緒にいてタクシーを待っている間に気持ちが悪いと言って倒れ、すぐに救急車を呼んで搬送してもらい、救急処置を受けているところだと言う。妻はまだ到着していなかった。

しばらくして、担当医に呼ばれ、2人で医師からの話を聞いた。

1:脳の右側に多量の出血があり、今はいったん止まっているが、今夜、もう1度出血

  があれば、生命が危ない。

2:今夜を乗り切っても、今後大きな後遺症が残ることは免れないため、寝たきりにな

  ると考えられる。そうした専門の施設で面倒を看てもらうようになる。

3:危篤な状況になった時に、装置を使って延命を図るか、自然に任せるかの家族の意

  思を教えておいてもらいたい。

個人的には、自然に任せるべきと考えたが、実の子供たちである、妻や義兄の判断を尊

重しようと考えた。

幸い、それ以上の出血はなく、生命の危険は脱した。また、母の意識も戻り、ゆっくり話はできるようになっていた。自分がどうしてここにいるかの記憶は無かった。脳の右側の出血で、意識、言語の中枢は使えるようだった。しかし左半身麻痺で、体の左半分は動かなくなっていた。

翌朝、家族で集まり、今後の対応を協議した。

1:医師は、寝たきりというが、ああして話せるし、早期のリハビリをして、少しで

  ももとの状態に戻せるように、家族で働きかけをする。

2:万一悪化した場合は、装置は付けず、自然の成り行きに任せることにする。

決めたことを、医師に伝え、2は分かったが、1については、まだ翌日で何とも言えないという返事だった。

我々に幸いだったことは、前夜の当直が脳外科医で、その彼が、そのまま主治医になってくれたことだった。説明は明快で分かりやすいものだった。しかし、家族に安易な希望を与えるわけではなく、最悪の場合を想定して話してくれているのだと思った。

 

家族がそれぞれに、インターネットと、知人の体験談を集め持ち寄り、次善の策を相談した。この、先に先に、打ち手の可能性を探したことが、今にして思えば、良かったと思っている。