kenmeinakurashiのブログ

介護、老後を賢明に生きる公共、企業の制度利用法。

帰宅するしないで、ひと悶着あって。

今朝になって、母が疲れていることを理由にホームで起床せず、朝食を食べることをスキップし、外部療法士の訪問リハビリをキャンセルしたという知らせが、ホームの相談員の方から妻にあった。

疲れの様子がひどいようなら、今日の一時帰宅は中止にすることを相談員さんと打合せ、昼食を食べることができるか、14:00の時点で本人がどうしたいというか聞いてみて判断することになった。

昼ご飯は食べたものの、疲れが残っているようで、体温もいつもより少し高めの36.9度だというしらせが入った。妻は直接母に連絡し、今日の帰宅は止めてはどうかと薦めた。すると母もそれに半ば同意して電話を終えたのだが、15:00頃になって、やっぱり帰宅したいとホームで言い出したと再度連絡が入った。

我々は、今日は見送りになったと判断がおりた時点で、受け入れ準備を止めていて、気持ちが緩んでいたので、また帰りたいと言われた時は、モチベーションを再度上げるのに時間がかかった。

結局は、ホームも帰宅を薦めてくれて、17:00に帰宅することになった。15:00過ぎにはコロナウィルス感染者数が、東京も全国もこれまで最多の人数を更新したこともあり、止められるかもしれないと思っていただけに、もしかするとこれから帰宅チャンスが無くなるかもしれない可能性もあり、前向きに帰宅を受け入れることにした。

 

 

母の一時帰宅にあたって。

母をこの水木曜日にホームから自宅に連れ戻る許可をもらっている。そのことについて、今日も妻から母に伝えると、ホームから自宅までの車椅子での送り迎えを、私でなく、自分の息子にしてもらいたいという。母なりに、介護の大変さを理解していて、その大変さを理解しようとしない、あるいは、実体験がないから理解が出来ない息子たちに分からせたいというのが、考えていることらしい。

これまでも兄たちは、自分たちの妹である妻の介護に理解を示そうとすることはほとんどなく、母と同居していたのだから、母の名義の土地をいずれは継ぐのだから、面倒を見るのが当たり前で、自分たちがその負荷を負うのはおかしい、道理がないと言い放ってきた。

母にもそのことは伝わり、母自身も息子たちのその対応に心を痛めていた。しかし、実際に息子たちが会いに来ると、そのこと自体が嬉しくなって、厳しい言葉を掛けられないまま、時間だけが過ぎてしまうというのがこれまでだった。結局、これからも母は娘の苦労、息子の残念な対応に直接言及できないまま時は過ぎていくのだろうと思われる。

我々は、ひとまず、母と過ごす時間を、気持ちのいいものにしてあげたいと心を砕くことに専念していきたいと思う。

母の好物を探して。

今週の水木に、また母を自宅に連れ帰る許可をホームからいただいた。コロナウィルス感染予防には最大限注意して実行したいと考えている。

食べたいものを聞いても、最初の頃は、お店やブランド指定、品名を指定してのリクエストがあったが、最近は、妻、すなわち娘が作るものは何でも自分の口に合う料理ばかりだから、特別な要望はないのだと言うようになった。

それでも夫婦で相談して、娘である妻が、そういえばお母さんは〇〇が好きだった、と記憶をたどりながら、好きだったもの、最近まで好んで食べていたものを探り当てて、それを用意しようと考えている。

 

ホームの人出が不足しているかもしれない。

母にアルバムとクリームパンを妻が届けた。昨日の午後のことだったが、夜に電話をした時にはアルバムを受け取っていないと母が言った。母がまた、勘違いをしているかもしれないろ、妻は今日の朝、ホームに確認の電話をした。すぐに折り返しの電話がかかってきて、昨日の午後確かに預かったが、事務所の担当者が急ぎではなかろうと、事務所に置いていて、すぐにフロア担当者に渡すのを忘れていたため、今日まで事務所に置いたままになっていたと言うのだった。

先週、以前よく世話を焼いてくれていた事務所のスタッフの方を見かけなくなったと妻が事務所の人に尋ねたら、体調を崩して、自宅療養をしているのだと言われた。

その人の頭数が欠員となっていることで、要員配置や、シフト勤務でも穴ができやすくなり、その穴を現有の要員だけで埋めようとするから、いろいろな業務に負荷がかかるようになり、抜け漏れもでやすくなっているのだと思った。今の社会ではよくあることで、自分が務めていた組織でも、欠員の業務を埋めるために、みんなであたふたしたことが何度もあった。

ホームは年配者、要介護者を相手にしているだけに、一歩間違うと命にかかわる事故にもつながりかねない恐れがある。家族としては、念には念を押しながら、お願いや確認をしていかないといけないと思い直した。

妻がホームの相談員の方とこれまでのこと、これからのことを相談して。

コロナウィルス感染者数が全国で拡大する中、母の入居するホームも施設内感染が起きないように、予防策を慎重に講じていて、居住者と家族のコミュニケーションを全部シャットアウトするのでなく、厳格なルールを守りながら、コミュニケーション確保と共存させようとしてくれていた。

わが家は、家が近所であるということもあり、自宅への連れ帰りをさせてもらってもいるし、兄弟の数も多く、母への面会希望者の数も他の人たちと比べられないくらい多かった。それだけに、ホーム側もゆるみがないように、ルールの厳守と都度都度の確認を求められた。

最近、母が疲れ気味で面会の絶対数を減らした方がいいのではないかと提案を受けた。母に聞くと、面会で誰かが来ると聞くと、会ってしまえば、嬉しくて楽しいのだけれど、それを待つまでの間、面会をプレッシャーに感じるそうで、それが疲れになっているかもしれないということだった。面会の回数を減らせば、プレッシャーが減る分、脳の機能低下が進むことが考えられた。結局母は、面会は出来るだけしたいと希望したので、妻はそれを相談員の方に伝えたそうだ。

相談員の方も分かってくれて、これまで通り、ルールを厳守したうえで、面会を継続することを約束してくれた。もちろん、全国の動き、お役所の指導が入れば、今日の今日でそ約束が変更されることがあるかもしれないが、それは承知のうえでのことである。

これからも、コロナウィルス感染には徹底的に注意を励行し、許される限りの中で、母との接点を確保していきたい。

兄夫婦と会って、話して。

今日は妻の兄夫婦が母をホームに訪ねてくれたそうだ。

母は終始、兄妹の仲を心配して、妹と仲良くするようにと話していたそうだ。仲がうまくいっていないなら、自分の子育ての仕方の問題があったからだと後悔の念にさいなまれていたとも言われた。

それを伝えてくれた兄夫婦と、今夜直接会って話をした。これまでのこと、これからのこと、それぞれに本音を吐き出して、どこに誤解の原因があったかを見つけ出そうとした。互いに60歳前後の夫婦で、今となっては性格を変えることは難しく、改善のための行動を変えられるか、その気付きが得られるかがポイントだった。

結論から言えば、合意する点は見いだせなかった。今さら状況は変えられないし、変わらないであろうことも分かった。せめて母にだけは、話をして、それぞれのことは理解しようとしたから心配しないでと、嘘ではない、当たり障りのない、母を安心させるコメントだけは共有することにした。

1泊2日の一時帰宅から、母をホームに送り届けて。

今日は全国のコロナウィルス感染者数が最多になり、自分が仕事から帰り、自宅からホームに連れ帰る前も、自分自身を洗浄、消毒して付き添った。

母の記憶は少しずつあいまいさが拡大しているように思え、1泊2日で自宅に帰り、帰る仕度をしている時でさえ、明日の昼食でさっき残した料理を食べたい、それを温め直して出してちょうだい、という始末である。

コロナウィルスが蔓延すれば、連れ出すこともままならなくなり、ますます母の記憶能力が薄らいでいくのではないかと心配になる。

ホームのきまりの範囲の中で最大限、母と会う時間を作り、気持ちと脳を刺激してあげたいと思う、今回の一時帰宅だった。